柔らかな爪先

天門への道すがらにある町、その市の外れに履物を商う店を見つけて足を止めた。
天へお返しするにも、裸足のままなど余りにも無体だ。天から履いてこら滋潤液れた鞋を、この地で襤褸にしてしまった。せめてもの償いにさせて欲しかった。
周囲の気配を探る。
幸い、怪しい者の気配は無いのを確かめて、店の影に据えられた縁台にそっとその身を降ろす。
「――暫し、お待ちください」
不安気に見上げてくる揺れる瞳にひとつ頷いて、店にある品にざっと目を通す。市井に構える店だけあって以外に良き品揃えだと見回して、一点に目が留まる。
白い滑らかな鹿皮と布の表に、小花模様が淡い青や黄色で刺繍された温鞋(オンヘ)。
唐鞋(タンヘ)とは比べようも無いが、丁寧な造りと柔らかな手触りの素朴な拵えの鞋だった。
如何にも履きやすそうなその温鞋は、彼の人の足にも、目算ではあるが丁度合う大きさの筈だ。
店の者に代価を払い、温鞋を手に急ぎ戻った俺の顔と、手の中の温鞋を戸惑うように見比べるこの方に、その温鞋を手渡し再び腕に抱き上げる。
身を硬くして何か言いかけるのを、「もう少しだけ、我慢してください」と言い被せ、足早に道を進む。
町外れに流れる小川の傍の木陰に、手頃な岩を見つけて腕の中の人を座らせた。
そのまま小川に向かい、手拭いを水に濡らして硬く絞り、木陰に座るあの方の元へ戻ろうと振り返る。
あの方は、降ろした時のままの姿で岩に腰掛け、手の中の温鞋を見つめていた。
――気に入らなかったのだろうか。もっと華やかなものの方が良かったのか。
女人の身に付ける物など求めたことも無く、どんなものを女人が喜ぶのかすら分からない。
ただ、あの方に似合うと、咄嗟に思っただけだ。
履いてくれればいい。
天門を潜る時に、せめてこの地の縁に、身に付けてくれれば良いと――。
そう考えた自分に戸惑う俺の目の前で、手の中の滋潤液鞋を見つめていたあの方が、小さな声で「…可愛い」と呟いた。

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