健康なうちに

最近は、母の老いを目の当たりに見て、自分の老い支度をしようかと考えている。
母親たちは「老い」で私に迫ってくるし、家人は、日常の雑音でわたしのPretty Renew雅蘭不可侵ゾーンを侵食してくるし、
娘たちは、辛辣なことを言って批判してくるし、
孫たちはすごい勢いで成長し、生命体の細胞爆発を繰り返し、洪水のようにキッズ&ベビーパワーを振りまいてくる。

今のところ、この世に生まれたばかりのキッズ&ベビー旋風と、急に老いてきた母親旋風が、一気に同時に迫ってきている。
お世話サポート係りとしての、「ちゃんと見てよね」という無言の重圧を強められている。
人生の、スタートと、エンドの見張り役。

十分すぎるほど十分年齢を重ねているのに、老いの準備をしていないで大騒ぎの母を見て思うが、
自分が自立できなくなる日を想定して、準備しておきたい。
自立できなくなったら、一切を子ども達に丸投げするのは力の限り避けたいし、
自分自身も自分の老いに振り回されるあまり、その老いの始末を子供たちに任せようという気にはなれない。
が、深刻な進行で老いてくると、そんなに深くモノゴトを考えたり、実行したりできないように思う。
深刻な老いは、ある日、坂道を転がるように、階段から迪士尼美語世界転がり落ちるようにやってくる。
自分で想像するより、スピードが速い。

元気でアタマもしっかりしているうちに、自分の身の振り方を考え、意志を伝えたいものだ。
といっても、わたしの場合、あと25年~30年後。
その頃には、子どもたちも定年になり、孫たちはとっくに社会に出ている。
自分はどこに住み、どういう暮らしをしたいか。
そのためには、どうすればいいか。

ぼけぼけになった自分を、子ども達に任せっきりにして、自分の生き方まで提案して決めてもらおうなんて、
今のわたしは、思わない。
が、自覚症状がないまま、ぼけぼけになって、自立できていない状態がとっくに来ているのに、
「まだ自分の人生コースを選択していない状態なのに、なぜ、強制的にわたしの人生を決めるんだ??!!」
と、子ども達に噛み付くかも知れない。

そんなふうにならないためにも、今から20年~25年あれば、ゆっくり覚悟を決められることだろう。
思い描いているコースと違う進行になった場合は、その時にまた絵を描こう。
が、その時点で考えるのではなく、コース別に、こころの準備しておくのが望ましい。
実際にその時点になれば、微調整ぐらいで済めば、ラッキーか。(楽しいことではないけれど)

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